物語ブログ「人波のみなと」

あなたの心の船着場でありますように。五千字程度の短編小説や詩の投稿を中心に、小説や映画のレビュー等もお送りいたします。

人波に溶ける

小説タイトル『人波に溶ける』

 

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    太陽がしつこく追いかけて来る。まだ五月だと言うのに、スーツ姿の僕は汗だくだった。やっと面接会場に着くと、「深森小太郎さんですね?」と愛想の良い初老の男性が出迎えた。

    近未来的なガラス張りのオフィス。窓に囲まれた奥の部屋へ案内され、向かい側に座るようにと促される。お決まり通りの挨拶や質問を終えた後、彼は少し掠れた声で言った。

 「我が社は人物重視です。これからあなたが子供の頃から大学四年生となる今日まで、どんな人生を送ってきた、どんな人物なのかを知るために質問しますから、自分の言葉で、正直に話して下さい」

 「わかりました、よろしくお願いします」

 「はい。ではまずは小学生の時代に遡っていただきたい。あなたはどんな子供でしたか。最も印象に残っている出来事はなんですか」

 「ええと……」

     突然の予想していなかった質問で言葉に詰まる。

 「焦らないで、ゆっくりで結構です」

    面接官は暗い目で僕を見据える。僕は浅く息を吸って目を閉じた。

 

    ……なんにつけても昔から、不器用で要領の悪い子供だった。とろいとろいとよく言われ、物覚えも運動も下手だった。引っ込み思案で集団の中に紛れるのが苦手で、なかなか友達を作ることができない日々が続いた。

 「一緒に、遊ばない……?」

    そんな中僕に声をかけてきてくれたのがマサムネだった。彼は僕とよく似ていて、いつもオドオドしていて人見知り。きっと僕にシンパシーを感じたのだろう。僕達はたちまち親友になった。

 「コタロー、一緒に体操しよう」

    体育で二人組が必要になればいつもお互いを探したし、

 「マサムネ、一緒にお弁当食べようよ」

    遠足や林間学校でも自分の班を離れて二人で遊んでいた。

「コタロー、今日は何して遊ぼうか?」

    放課後も毎日当たり前のように二人だった。むしろ二人でいる記憶以外ない。

    僕達の小学校時代は充実していたと言えた。二人だけの世界で安心していた。


 「……小学生の頃は、飼育委員として動物の世話に励んでいました。皆が嫌がる排泄の世話も積極的にやり……」

    僕は嘘とも言えぬ嘘をついた。飼育委員はやっていた気がするが、何も覚えていない。面接官はふんふんと満足そうに頷いていた。

 「君の人柄が伝わってくるエピソードだ。ただ、あー、君はその、いつもそういう話し方なの?    それとも緊張してる?」

 「と、言いますと?」

 「いやあ、その、随分と独特の雰囲気というか、変な間を持って話すなあと思ってね」

    面接官は変わらず笑みを浮かべているが、微かに顔色が変わったのを僕は見逃さない。けれどこのようなことを言われるのは初めてではない。別の会社の集団面接で「君は変わった人だねえ」と言われたこともある。

 「多少緊張はしていますが、普段からこんな感じです」

    努めて冷静にそう答えると、面接官は「あ、そうなんですね」と笑った。皆と同じようにできたらどんなに楽かわからないけど、やっぱり今でもそううまくはできない。こんな付け焼き刃で突然変われはしない。

 「まあいいや。それじゃあ次は中学生の頃の話を聞こうか。何が一番印象に残っている?」

 

    ……僕は教室のど真ん中の席で文庫本に目を走らせていた。何も聞こえないふりをしていたけれど本当は神経を尖らせて、全方位の音を拾っていた。黒板に落書きする声。カーテンに巻き付いて遊ぶ声。廊下を突っ走る快活な笑い声が行ったり来たり。そして背後からは、意地の悪い高笑いと暴力の音。それを一手に引き受けるマサムネの控えめな笑い声。

   僕達二人は同じ中学に入学し、その上同じクラスだった。けれど中学は単なる小学校の延長ではなくて、無駄に複雑かつ繊細な檻の中だった。しかもお互いの間で世界を完結させてきた僕達は、他の人との関わり方をほとんど知らないまま成長してしまった。

    マサムネは皆のおもちゃにだった。僕がそうならなかったのはたまたま運がよかっただけのこと。平穏無事に三年間を終えられるように僕はなるべく気配を殺していた。僕はマサムネにほとんど話しかけなくなっていたし、彼もあえて話そうとはしなかった。

    内容が全く頭に入っていない小説が最後のページになったある日、突然轟音が背後から響いた。皆が目を丸くして後ろを見ている。振り返ると、マサムネが暴れていた。血走った眼で、髪を振り乱し、歯をくいしばって机やら椅子やらを蹴り倒したり投げ飛ばしている。彼をおもちゃにして遊んでいた奴らは引きつった笑みのまま固まっている。周りの皆はまるでそれがテレビの向こう側のような感じで呑気に見ていた。

    その中で僕はどんな顔だっただろう。

    やがて騒ぎを聞きつけた先生達がマサムネを羽交い締めにして連れて行った。教室の後ろは机や椅子、教科書やらが入り混じって散乱していて、まるで怪獣が歩き去った後のような惨状。

    マサムネが消えた教室では、皆熱を孕んだ囁き声で鼻息荒く話し始めた。子供のように無邪気な顔で、または大人ぶった物知り顔で。興奮気味の笑い声が沸き起こって、妙な連帯感が生まれていた。

    けれど、その中で僕は不覚にも泣いてしまった。

    溢れては零れる涙を僕はせき止めることができなくて、震える手の中の文庫本をシミだらけにした。

    それがマサムネに向けての涙だったのか、クラスの非情さに向けた涙だったのか、あるいは僕自身への悔しさだったのかはわからない。とにかく楽しげな空間の中で一人だけ、自分の感情もよくわからず、馬鹿みたいに泣いてしまった。

    その日を最後にマサムネは学校に来なかった。彼のほんの少しの勇気は、日常の中のちょっとしたイベントとして終わった。一方の僕は何の勇気も出せずに、それ以来マサムネに会うこともなかった。彼の役目は皆が笑う中一人だけ泣いていた、皆と違う異端で普通でない人間に引き継がれた。

    下駄箱を開けると上履きが消えていた。体育倉庫の中に何時間も閉じ込められた。教壇の上に裸で立たされて、無数のにやけた視線達の見世物になった。その他にも、僕を使ったお遊戯は数えられない。

    臆病な僕はやられるがまま。いじめだらけの毎日。拳の暴力と言葉の暴力が僕の心を叩きつけ、誰にも見えない狭い場所へと追いやる……。

 

 「それが中学時代に印象に残っていること?」

     面接官が口を歪ませた呆れ顔で言った。

 「はい、正直に自分の言葉でお話しました」

    僕は無表情に答えた。どうせもう不合格だろうから、いっそ面接官の言う通り正直に話してしまおうと言う気分になっていた。面接官は「そういうことじゃないんだよなぁ……」と呟く。

 「……まあいいや。この時期は似たような話を何十回と聴くから疲れるんだ。骨休めにはなるだろう。じゃあ、次。高校時代にいってみようか……」

 

    ……なんとか這うようにして中学を卒業した僕は、地元から少し離れた高校に電車通学していた。小さな家や店が立ち並び、時折建物の隙間から鮮やかな海や山々が見える。

    そこでは中学時代と違ってすぐに何人か友達ができた。これまでは何だったのだろうと拍子抜けするくらい、皆あっさりと僕を受け入れてくれた。僕を弄ぼうとする者なんて誰もいなかった。悪意の存在しない、優しい居場所。僕は満足していた。このままずっと笑っていればいいのだ。過去のことは忘れよう。

    皆で学校へ行き、たくさん勉強して、たくさん友達と笑って、夕陽に見守られながら皆で帰る。そうして日々が過ぎていく。

    けれどある日の放課後駅に向かうと、人身事故が起こって電車が止まっていた。仕方ないから浜辺で時間を潰していると、SNSを見ていた友達の一人が声を上げた。どうやら事故の瞬間や直後の写真が上げられ、飛び込んだ人物が特定されたらしい。

 「この人、俺達と同い年だったらしいよ。中学から不登校だったんだって」

   その瞬間僕は恐ろしい予感に駆られた。結局その日電車が動いた頃にはほとんど暗くなりかけていた。車窓の外を見ると、赤黒い空が僕を追いかけて来ている。そして海の方では、真っ黒な灯台が誰かを見つけようとしているかのように休まず回っていた。その姿に思わずゾッとして、隠れるように縮こまった。

    家に帰ると、予感が的中していたことを知らされた。マサムネが死んだと。自殺なのか事故なのかはわからない。全身の力が抜けるのを感じた。

    そう遠くない場所で人が死ねばそれなりに面白いもの。僕の学校でも何も知らない友達や先生が話題に出しては、自分勝手に下馬評を下した。

    マサムネの死は、彼のことを一ミリも知らない、言葉の激流に流されるままの人達のたった数分のネタにしかならない。皆勝手な正論を語ると、また違う正論が現れて正しさ同士が戦う。マサムネの死は大勢の言葉の波に飲み込まれて終わった。その流れの行き着く先は知らない。

    それが良いとか悪いとかはわからないけれど、僕は底知れない気味の悪さを感じずにいられなかった。

    僕は何も言わず手を合わせることしかできなかったが、不思議とかつてのように涙は流れなかった。

 

 「……君がどういう人で、どんな人生を歩んできたかは何となくわかった。しかしね、君、しかしだね。君の人生に大きな影響を与えていることがそれらだったとしてもだ、私が聞きたいのはそんなことではなかった。そんなことはこういう場で話すべきことではなかった。こっちは君を雇うかどうか決めるために時間を作ってあげてるんだ。もっと話す内容を考えるべきだった」

    面接官はほとんど窓ガラスに向けて話しかけていた。窓の向こうではビル群が僕達を取り囲んでいる。ビルの隙間から覗き込む西陽が、室内を黄金色に染め上げる。彼の頰や額に深く刻まれている皺がやけに立体的に見えた。

 「確かに最初こそ自分がよく見えるように演じました。けれど、やはり不器用な僕にはうまくできない。だからありのままをお伝えすることにしました。僕は僕自身に一番腹を立てているんです。僕がもう少し勇気を持っていて、はきはきした話し方で、もっと前向きで明るい人間だったら良かったのにと思っています。人物重視とはそういうことでしょう。うまく言えないけれど……」

    僕の声は段々と小さくなる。自分でも何を言いたいのかよくわからなくなってきた。面接官は疎ましそうに僕の言葉を手で遮った。

 「もういいよ。これで最後の質問にしよう。君もたくさん話して疲れただろ。最後は明るい話題で終わろう。君が大学に入って成し遂げたことで一番嬉しかったことは? 頼むよ」

 「嬉しかったこと……」

   僕はゆっくりと噛み締めるように思い描いた。まるで目の前にその柔らかな果実があるかのように、甘くて酸っぱい優しい香りを……。

 「大学二年生の時に、彼女ができたことですかね」

 「んああ?」面接官が間抜けな声を出した。

 「大きなボランティアサークルに所属しているんですけど、学園祭後の打ち上げの時に、その場の酔ったノリで、サークルの皆が僕とある女の子をくっつけようと盛り上がって。その場でデートの約束をさせられて」

   僕は顔が急速に熱くなるのを感じた。

「完全にその場の酔っていた勢いのおふざけで。僕達が付き合うように囲い込みをされて、結局付き合えることに……」

 「ちょっと待った。おかしくはないかい?」

 「と、言いますと?」

 「今までの君の話をまとめると、君は親友の件で、集団というものが持つ力に強い怒りや恐怖を感じている。それなのに、今の話ではむしろ圧倒的多数に迎合しているようじゃないか。そこは君なら、無理矢理付き合うように仕向けられて、と憤るところではないのかい?」

    僕には彼の言うことがいまいちわからなかった。

 「でも結果的に僕、今幸せですよ」

 「だからそれは結果論だろう! だってそれじゃあんまりにも都合が良すぎるじゃないか。自分が幸せになったら良いのかい。マサムネ君がどうのって話は何だったのかね」

 「だって僕、さっきまでのお話の通りだったので彼女なんていなかったから、一度付き合うという感覚を味わいたかったんです」

 「何て都合の良い話だ。恋人というステータスができて舞い上がってるだけじゃないか」

    面接官はどこか不気味なものを見るような表情でまくし立てる。この人は一体何に対してこれほどまでに怯えているのだろうか。

「都合が良いのは僕だけじゃないでしょう。学校も社会も就活も、皆都合の良い正論じゃありませんか」

    僕は小首を傾げて答えた。

 

   外に出ると、太陽は赤く燃えながら堕ちていこうとしていた。先程までの暑さは失せていて、初夏の澄んだ風が僕を駅まで運んだ。

 「ごめんごめん。遅れちゃって」

    ちょうど帰宅ラッシュの時刻で、駅にはたくさんの人達がごった返していたが、自分の恋人はすぐに見つけることができた。僕達はこれから夕食を一緒に食べる約束をしている。僕の買ってあげたスタイルの良さが際立つワンピースを着て、スマホを擦っていた。ちなみに彼女は既に内定を得て就活を終えている。

 「ううん、私もさっき来たから。面接はどうだった?」

    彼女は僕の腕を無意味に揺らす。僕は満更でもない気分になる。

 「うーん」僕は何と言うべきか迷った。

 「たぶん今回も駄目そう」

 「そう。まあ売り手市場だし、気長にやればいいんじゃない。ゆっくり自分に合う仕事を見つければ。でも小売とか飲食とかは嫌よ。女友達に言う時ちょっと恥ずかしいから。ところで今日の会社は、どんなところだったの……」

 「そういえば何の会社だったかな……」

    来た道を振り向いてみるが、同じような顔をしたビルが無数に僕らを見下ろすばかりで、自分がどの建物から出てきたのかわからなくなった。そういえば、僕は今日面接官に何を話したんだっけ。途方もない迷路に入り込んでしまったような感覚に陥る。

 「そんなことより、早く何か食べに行こうよ」

 「そうね。何が食べさせてくれるの……」

    どうせこれから何度もこのスーツに着られて、重たいカバンに運ばれるのだろう。そうして少しずつ洗練された大人になるのだろう。より色んなものに共感できるようになるのだろう。

    人波に溶けていく僕を、誰かが見守ってくれていたら嬉しい。